災害看護という言葉がよくきかれるようになったのは
1995年の阪神・淡路大震災がきっかけです。
これを機にさまざまな研究やたくさんの報告がされるようになりました。
私は専門学校時代と大学時代に災害看護をテーマに研究した事もあり
災害看護に関する論文を山のように読みました。
論文を読むと、看護師だけでなく、医療スタッフ全員のその当時のすさまじい状況が書かれています。
物品不足やライフラインの遮断によって孤立してしまった病院が助けがくるまでどう対応したか・・・
そこからの教訓が今の看護につながっている事ご存じでしょうか。
阪神淡路大震災の話ですが
例えば・・・
今は当たり前になっているナースシューズ。
あの頃はナースサンダルが主流でした。
震災の直後は、床には医療物品やガラスが割れた破片が散乱していました。
片付くまでは自分自身怪我をしないように気を付けながらの作業だったそうです。
今でもナースサンダルは売っていますが
災害時を考え病院内ではシューズを履く事を規定している所が多くなったと思います。
それは、阪神淡路大震災からの教訓なのだそうです。
また、震災時院内の患者さんだけでなく、病院外からの患者さんも多く
消耗品の物品不足はかなり深刻だったそうです。
衛生用品の滅菌ガーゼは創に当たる部分だけを滅菌ガーゼを使用し、上層部は清潔なガーゼに。
セッシ(ピンセットみたいなもの)は普段は滅菌しているものですが
機器が故障や破損したために、煮沸消毒に変更して使用していたそうです。
食事の準備が整わないこともあり、
普段食事がとれない人用の高カロリー食品のエンシュアリキットを患者に配ったそうです。
担架が足りない時にはシーツを代用し、水が遮断されておりトイレの水が流れない時には
感染なども予防しないといけないため、袋に用を足してもらうように呼び掛ける。
などなど…
震災の時の医療スタッフが考えた工夫は書ききれませんが
これだけではありません。
助けがくる数日を乗り切るために、
スタッフは寝る時間食べる時間をさいて働いていたそうです。
災害は起きないで欲しいですが…避けられないのも災害。
東日本大震災から5年がたちましたが
災害への恐怖は日本に住んでいる皆が感じていることかもしれません。
東日本大震災から5年、どんなふうに災害に備えるか
一人一人見直すいい機会かもしれないですね 🙄